ワーキングファザーのブログ

親父が思いついた個人的な妄想を適当に書きます。

正解を求める...

最近、わが子が「正解は何?」みたいなのを求めすぎる気がするのがすごく気になる。

算数など、一意な答えがあるものにそれを求めるのもわかる。でも、それが勉強のすべてだと思っているような気がして最近気になっている。

例えば、「このグループの中で仲間外れはどれ?」という問いは基準を変えることで仲間外れとなるものが変わるものが多々ある。そんな場合でも一意な答えを求めてくることに閉口してしまう。親としてはその答えに至った理由が大事だと思っているのだが、子供としては答えが大事だと思っているようでどう説明していいのか悩む。

...と書きながら、守破離みたいな話なのかと思った。子供としてはこれまで正解通りに意味も分からずなぞる"守"のトレーニングを繰り返してきたので、急に正解かどうか自分で吟味するという"破"を求められても困るということなのかなと思った。

大人から見るとなんでもっと柔軟にできないものなのかとも思うところではあるけれど、剣の束を渡すことはできても、刃を渡すことはできないという話なんだろうな。

私は超長期事業をしてるんだ、目の前のことに一喜一憂せず、根気強くやろう。